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第  回 個展はがき

1991年7月4日〜9日 大阪府池田の市立ギャラリーいけだ

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2段落目が
終了なりマニ
また来たね、『呉春』でも飲んでゆっくりしてよ

(図1)



(図2)



(図3)



(図4)



(図5)


く先を見定めて現在の仕事をやっておくべきという意識は大切だ。第1回個展ではキモ ノ中心の展示となったが、その時にはすでにふたつ折りの屏風作品を2点作り終えていて 、次回の個展からは屏風も展示することに決めていた。2点の屏風のうちの1点は学生時 代の恩師による注文で、作ったものをそのまま納めるのはもったいない気がして、了解を 得たうえで、表具が完成したその足でとある工芸の公募展の出品会場に持参した。そして 、その入選をきっかけに毎年屏風作品づくりに手を染めることになった。そうして4年ほ ど経ち、キモノと屏風を半々程度に並べるほどに作品がたまったが、今度は大阪方面の画 廊で個展を開きたいと考えた。ところが大阪市内には貸し画廊はあまりなく、またあまり 気に入るところがない。池田市にはそれまで一度出かけたことがあるのみでほとんど知識 はなかったが、江戸時代には蕪村の弟子の若き呉春が活躍したり、阪急電鉄の創設者小林 一三の住居を活用した逸翁美術館が近くにあることで有名で、予想したとおりの静かで文 化的な街といった雰囲気であった。池田市立ギャラリ−の存在を知ったのは、無料配付の 画廊情報誌だったと思う。借りることを申し込む前に実際に会場を訪れると、B4サイズ の画廊の月報が何部か置いてあった。各個展の案内とともに画廊規定が書かれていて、1 週間の賃貸料が35000円とあった。これは格安だ。しかも阪急電車池田駅構内にあっ て人の往来が多く、わが家に近い嵐山駅からは電車で1時間半ほどで一切雨に濡れずに会 場までたどり着ける。それで個展を内心決めたが、それは実際の個展の1年近く前だった と思う。画廊の運営は池田市の自主事業で、会場を借りるには一応の経歴の審査があって 、個展開催の1か月以前に申し込んで許可を得る必要がある。普段は絵画や彫刻の展示に 利用されているので友禅染はきわめて珍しい存在、そこが担当者の心象をよくしたかもし れないが、確か2か月ほど前には開催日を取り決めた。市長室文化課の主任の親切な女性 が画廊まで出向いて応対してくれたことが印象に強い。画廊には脚を折りたためるテ−ブ ルや覆い布の備品があって、それらが自由に使用できる点も助かった。キモノを展示する には衣桁が便利だが、業者から借りるのは面倒であるし、衣桁を使用すると、その脚の奥 行きのために壁面より最低20センチほどは手前にキモノが展示されることになって、会 場がその分だけ狭く感じる。壁面にピンの使用が許されるのであれば、衣桁を使用する必 要はなく、そのまま細い金属のパイプをキモノ上部に通し、裾や襟下箇所を壁にピンで固 定して吊るせばよい。この方法はその後の個展でも採用することになった。キモノだけな らば電車で運ぶこともできるが、屏風となれば専用の運搬車が必要で、往きは妹の旦那、 個展終了後は京都では有名なMKタクシ−の軽トラック便に頼んだ。数年後、この市立ギ ャラリ−のノウハウに学んで、同じ阪急電鉄の茨木や高槻駅構内にも似たような画廊がオ −プンしたが、広さはさておき、場所が全くよくない。いかに役所がこうした文化行政と いうものをどの程度に考えているかがわかる見本となっている。
 この個展ではキモノと屏風が5点ずつ、それに木綿ののれんを2点展示した。屏風はキ モノとは違って日本画や油彩画と肩を並べ得る芸術作品であるという意識が最初に書いた 公募展に出品するような染色家にはある。キモノと屏風とでは用途が違うので、この問題 は簡単に片づけられないものを含んでいるのでここでは詳しく書かないが、確かに屏風と いうものはそれを置くことができる空間がある場合、その場の空気を一変させる何かを持 っている。この点では日本画や油彩と何ら変わることはない。現在においてはその空間は さまざまで、必ずしも庭の見える畳敷の広間ということはなく、むしろ無機質の美術館と いうことを想定する場合が多いかもしれない。また、そうした大空間における展示を考え た場合、折りたたむことのできる屏風という形式を採らず、それをそのままぴったりと平 面的に広げて横長の大画面に固定する作品として染めることも出て来る。これは通常の屏 風とは違って、その独自の有機的な構図や物語性といった可能性の代わりに、用の美から は離れた純粋な美を追求する絵画上の問題を導入できることでもあると言える。この問題 もまたここで論ずるにはふさわしくないものを抱えるので別の機会に譲るとして、筆者が 染めた先の2点の屏風のうちの1点は設置すべき場所を実際に確認し、そこに似合うもの を考えるという意味で誂えのキモノづくりとほとんど同じであり、もう1点(図2の左の 作品)は写生を元とはせずに、また特定の置く場所を想定せずに染めたもので、この点で は用途を離れた何かを求めたものと言える。ついでながら第1回個展に展示したロ−ケツ 染による2点のタペストリ−作品は、個展会場を確認して染めたものであると同時に、あ る友人宅にそのまま使用することも想定したものであるので、用に応じた作品と言ってよ い。
 用に応じたものをつくるのは制約があるという点で不自由さを感じると思われがちだが 、実際は反対で、その制約の中でかえって方向性が見えて作りやすい。何でもいいと言わ れるのが本当は最も作りにくい。図1はギャラリ−入り口を撮影したものだが、ウィンド ウに展示してある2点ののれんは、厚い木綿地に裏表から同じ濃度で染めるために友禅と ロ−ケツを併用して染めた。大阪のある医者の家からの注文で、左は「醫」、右は「者」 のそれぞれ漢字の意味をそのまま絵にしているが、その点で医者の家以外には似合わない ものと言える。家の中を実際には見ておらず、わずかに内部の特徴を聞いたのみであった ので、何を作ってよいかわからなかった例に属するが、結局自分のその時にあった興味を 優先して作った。それがそのまま相手に対する説得力になると思う。さて、続く図2から 図5は入り口を入った左側(表のウィンドウの裏手壁面)から会場内部を時計回りに示す 。図2左は2作目の屏風で、炎をイメ−ジしている。どの公募展に出してもまず入選しな いものであろうが、自分としてはいろいろと実験もでき、また「燃えあがる思い」といっ たことを表現したかったのでいつまでも気になる作品だ。右は桜をテ−マにしている。古 木の桜とまだまだ細い枝木にしか育っていない桜を左右に配置している。写生を元にした ものだが、桜の花だけは5弁の文様を繰り返している。花をも写実に表現して、実際の大 きさどおりにもっと小さく描かなければ全体として理屈に合わないと思われるかもしれな いが、そうしても桜とは見えないものであるし、ここには日本画における写実の問題も絡 まって、単純に論じてしまえない問題が横たわっている。図3左は『葛のプロフィ−ル』 、右は『藤のポ−トレイト』。同じサイズのペア作品で、双方合わせて「葛藤の思い」を 表現する。この2点を並べて展示できる会場を探していた。左は朝焼けの中を葛の花が時 計回りに咲いていて、右は夕焼けに藤の花が半時計回りに咲く。どちらも豆科の植物だが 、前者は花が上向き、後者は下向きに咲く。またどちらも何かに絡まって繁茂するが、こ こでは虚空にそのまま咲き、両者とも人物の顔を描く。たくさんの写生を重ねて、それを 用いて植物をそのままリアルに表現するのだけではなく、別の何かへの読み替えもできる ようなものを考えた。これはキモノではなく、屏風のような平面作品であればこそ可能な 表現であろう。しかしここには細部と全体をどう関連づけるかというキモノで培った思考 性が出ている。図4のキモノ3点の左隣にもう1点キモノを展示したが、それぞれ友禅で ありつつも違った工程を採用して実験を試みた。左は『潮流』で、波の下にたくさんの魚 のシルエットが浮かぶ。中央は新緑の頃の松をテ−マにしたもの、右端の振袖『春の交響 』は遊蝶花シリ−ズの最後のもので、注文で作ったものではないが、後日成人式を迎える 小柄な女性に買ってもらった。袖丈をかなり縮めたようだが、小さな模様が並ぶので、小 柄な女性にも似合う。図5は同じ桐の花を用いてキモノと屏風を作った例として隣合わせ に展示した。糊伏せを再度繰り返して複雑な地部分の効果を求めたのは共通するが、同じ 配色とはせずに、キモノは中年向きに色を抑えた。どちらも売れて手元にはない。

  第1回個展 1987年
  第3回個展 1993年
  第4回個展 1995年
  第5回個展 1996年
  第6回個展 1996年
  第7回個展 1999年


呉服を染める仕事をしているから

には、まず駅のすぐ近くにある呉服

(くれは)神社にお参りを。


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