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第  回 個展はがき

1993年10月19日〜24日 京都市中京区のギャラリーみすや

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おいでやす〜〜

(図1)



(図2)



(図3)



(図4)



(図5)


くら個展をしてもほとんど身内や知人、業界といった狭い範囲内にしか知られないのが 現実だ。もっとたくさんの人に自作を見てもらえるならばそれに越したことはないが、多 くの通りすがりの人々に鑑賞してもらってもただそれだけのことで、作者と対話が弾むと いうことは思ったほど少ない。造形に対してある程度の興味を抱いているそうした人がた またま1週間程度の期間の個展会場に足を運び、作者や作品とよき出会いをして、意義あ る意見の交換ができるということは、個展というものの醍醐味の大きな点だが、それには 作者が定期的に個展を開いて活気ある制作態度を常に示し続けている必要がある。そうし たいわば宣伝活動のひとつとしては、雑誌などが取材をして個展の様子が印刷物となるこ とも挙げられる。インタ−ネットがまだなかった時代ではそれがほとんど唯一の個展の成 果と言ってよいもので、どのような分野にもそれなりのそうした雑誌はあるものだが、京 都には染織を専門に扱う出版社がいくつかあって、そのうちのひとつの月刊誌に『染織春 秋』がある。他にもいくつか似たような写真図版誌はあったが、この10年の不況続きで ほとんどすべてに近いそうした出版社がのれんを下ろした。『染織春秋』を初めて見たの は友禅の師匠に就いていた1年間のある日だったが、A4の版形で厚さは7、8ミリ程度 、大半はモノクロ印刷ながら、主にキモノ作家の新作を1ペ−ジ当たり2点掲載していた 。文章は全くないものの、そういう雑誌が毎月発刊されていることが新鮮で、いつか自分 の作品も掲載されればと思っていた。そして、全く予期せぬことであったが、個展はがき をどこかで見たようで、2回目の個展時に取材が来た。大半の部数は呉服業界のそれもご く一部の人しか目を通さない本とはいえ、印刷物となって残るのであるから、取材された ことは嬉しかった。未発表作品ばかりを大版のフィルムで撮影してもらい、それは数か月 後の同誌に掲載された。当時は『染織春秋』は全ペ−ジがカラ−印刷となっていて、筆者 の個展は2回目以降毎回取材を受けて作品が掲載され続けている。
 キモノと屏風を作り続け、公募展にそれぞれを出品していると自ずと作品はたまるもの で、第2回個展から2年後には個展を開いた。相変わらず場所を選ぶのが問題であったが 、ちょうど京都市内の中心部の繁華なところに貸しギャラリ−がオ−プンしたことに目を 留めた。それはよくその店の前を歩いていることからわかったもので、1階の店舗の上の フロア全面を1週間単位で借りることができた。ゆったりとしていて、広すぎるというこ ともない。それに、カウンタ−がついているので、パ−ティをするにも便利にできている 。近くには有名な画廊がいくつかあるが、キモノと屏風をある程度の点数を展示するには 比較的大きい会場でなければならず、この貸しスペ−スはその点がちょうどよかった。だ が常連がよく足を運ぶ古い画廊とは違って、オ−プンしたばかりではそれまでそこで個展 を開いた作家がおらず、案内はがきがの送り先がないため、ほとんど画廊側からの集客は 期待できない。それを嫌うあまり、老舗画廊であえて個展する人が多い。1000枚刷っ た個展はがきは京都文化博物館に頼んで1階の催事のチラシやはがきを置いてあるコ−ナ −に300枚ほど置いてもらったが、それが全部さばけるのにもかかわらず、はがきを見 てやって来る人は100枚に2、3人といったところではないだろうか。また画廊の前が いくら人の往来が激しくても、興味を抱いてぶらりと入って来る人もあまり期待できない のが現実だ。それは画廊独特の沈黙した空気が、そうしたものに慣れない人に対して作品 を眺めようという気分を圧してしまうからで、ましてや階段を上がった2階で、キモノの 展示が目に入るとなるとなおさらと言える。ここ数年でさらにそうした貸し画廊がみすや ギャラリ−近辺に増えたが、たいていは借り手がなくて閉まったままの状態になっている 。何かを売る商売の代わりに、空いた部屋を貸しギャラリ−にするというのは、建物跡を 取りあえず貸しガレ−ジにすることと同じ発想だが、通りから内部の状態が確認できて、 入りやすい雰囲気がないと集客は困難だ。
 出品は屏風が4点、キモノが6点、それにアクリルの特製の額に入れた縦長の作品が4 点セットの作品であった。図1は自動扉が閉まったままで会場内部を撮影したもので、奥 には4点セットの作品が見える。どれも同じ寸法だが、反物の残り生地などを使用してい ることもあって幅は35センチ程度しか取れず、掛軸風に極端に縦に長い構図にした。向 かって左からそれぞれ金糸通しの緞子、紬、麻、木綿と生地を使い分け、赤い花ばかりを テ−マにしている。生地が異なるので染料がまず違い、ついでに工程も変えている。同じ 赤でもどのように発色の差があるのか、生地と染料で実験してみたところがある。また、 染めたままの状態では生地に張りがなく、額に入れるとずり落ちたり皺が出たりするので 、表具店に頼んで和紙を裏打ちをしてもらった。アクリルの額は市販されているものでは なく、アクリル専門の業者と折衝してサイズやその他展示用に最適な加工を頼んだ。図2 から図5の4枚の写真は、扉からギャラリ−内部に入って右手から順に反時計回りの展示 を示しているが、図1の4点セットの作品は、図4左の青緑地色の振袖の左側にある半円 形のカウンタ−部分を越えたところに位置するもので、さらにその左に図5の作品2点を 展示した。こうした作品の配置はどうでもいいようなものだが、会場が決まった段階で、 会場の寸法に合わせて新たに作ったりするものを含め、会場全体のバランスをよく考えて 決める。何を最も目立つメインの場所に持って来るか、同じような色合いの作品はどのよ うに開きを取って並べるか、また表現している花などの内容によってどう並べるかなど、 あくまでも会場に合わせた最も効果的な配置にする。これは作品と展示場所との一期一会 の考えでもあり、当然のことながら別の会場で同じ作品を仮に並べても、配置はがらりと 変わるはずだ。図2右は第2回個展出品作『潮流』と似ているが、魚を描いておらず、工 程も少し違う。中央は藤の花をテ−マにしたもので、1990年に大阪の鶴見緑地で開催 された『花と緑の博覧会』に招待出品した2点のうちの1点、左は白山紬にスイトピ−の 赤い花を染めたもの。通常は紬を友禅で染めることは贅沢で珍しいが、いろんな生地に慣 れるために時にはこうした作品を染めることもある。図3は180センチ各の同じサイズ のふたつ折り屏風3点で、これも一応はセットになっている。どれもチュ−リップを主題 にしているが、左端は地中で芽が出始めた球根、中央は花弁が百合咲きのチュ−リップの 赤い花がマリリン・モンロ−の唇の形をかたどって密集して咲いている。右は幼葉の頃の チュ−リップの花壇で、遠目には大仏の額から頭部にかけての部分にも見えるようになっ ている。これら3点はわが家の庭に球根を植えて、花が枯れる時期まで写生を重ねた結果 の作品だ。図4はが同じくチュ−リップを染めているが、写生した花を大きく拡大して 並べてあり、着用すれば帯より上部がほとんど黄色で、下部が緑系の配色が中心の、全体 として抽象模様に見える効果を考えている。実際に着用することよりも、展示効果を主に 狙って作ったもので、個展にはこうした実験作を並べることも必要だと考える。図4左の 振袖は着用者から注文があって作ったもので、洋蘭ばかりを図案として組み合わせている 。先のチュ−リップの訪問着と同様、やはり写生したものをほとんどそのまま拡大してい る。図5の屏風と訪問着はどちらもススキを素材に染めたもので、屏風は写生したものを かなりそのまま用いており、キモノの方は模様化がもっと進んでいる。植物の写生をどこ までリアルに図案するかは、その植物による。複雑は形の植物もあればそうでないものも あるからだ。写生を単純化して行ったどの程度の果てに、まだ当の植物がその植物である と誰にも認識可能かどうかという問題もあるし、写生したものを友禅で染める場合の文様 化の具合は単純に定義づけできるものではない。そうした実験をキモノや屏風という形を 借りて、また身の回りにあるさまざまな植物を自分なりに写生を繰り返すことで、試みて 来ている結果がこの第3回個展で並べた作品にはあると思う。

  第1回個展 1987年
  第2回個展 1991年
  第4回個展 1995年
  第5回個展 1996年
  第6回個展 1996年
  第7回個展 1999年


月刊誌『染織春秋』。表紙のキモノ

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