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の個展は前回から1年半後に開いたものであるので、作品がたまるスピ−ドが増してい
たことになるが、これはそれだけ注文が少なくて、作品制作時間にゆとりがあったことが
原因と言える。京都、大阪、そして京都と個展を開いて来たからには、次の個展はまた大
阪かあるいは思い切って東京でと考え、この当時は画廊の資料を取り寄せたり、東京に住
む人に訊ねたり、また東京に何日か出かけて会場を探した。結局は適当な会場は見当たら
ず、またあったとしても驚くほどの高値であり、さらに車の免許を持たない身としては屏
風をどうやって運ぶかを考えると、簡単には東京で個展ができないことが改めてわかった
。さて、この年度に個展を開こうとしたのは、染色歴20年の節目を迎えることが理由の
ひとつとしてあって、いつもより大きな会場にしたかった。そこで目をつけたのが京都文
化博物館の5階のスペ−スだ。思い返せば友禅の彩色専門の師に就いていた1年の間、ひ
とりで全工程を手がけて作品づくりをしたいと師に言うと、友禅は多くの工程があって分
業が基本であり、ひとつの工程でも熟練するのに10年はかかるので、全部をひとりでこ
なすのは一生かかると言われた。しかしたった1年の弟子期間であっても、基本がわかれ
ば後は独学を続けるなか、一方で写生を積み重ねれば、それなりに独自の作品ができるは
ずという自信があった。出来のいいのもあればさほどでもないものがあることは作者はよ
くわかっているものだが、それらの自作が職人仕事にも及ばず、また到底芸術などではな
いとしても、精根込めて作ったものを一度は公の舞台に並べようとしなければ、いったい
誰が作者以上に作品を大切に思ってくれることがあろうか。そんな気持ちが個展を定期的
に開かせる大きな理由にも思える。また、個展はあたかも音楽におけるアルバム発表に似
たものと感じる。曲がたまって来るとそろそろアルバム発表をミュ−ジシャンが考えるの
と同じように、キモノや屏風がある程度揃うと、それらをある演出の中で見せようと思い
始める。そのためにはある程度は気に入った空間も欠かせない。それは大袈裟に言えば聖
なる場を求める感覚だ。人生や仕事の節目としての個展という祭り事における一種の祭壇
の場に、その時最も自分が気に入っている作品を中心に飾りつける。それはわずか数日と
いった期間であるからこそいいのかもしれない。作品は物として残るが、それを展示した
空間は残らない。インスタレ−ションという現代芸術のジャンルがあるが、そういう考え
も含んでの自分の個展という意識もある。
第1回個展のちょうど1年後の1988年10月に京都文化博物館は開館した。もうす
ぐ平成時代になろうとしていた頃で、世の中はバブル景気で金回りがよかったが、それと
は何の関係もなしに黙々淡々(おまけに貧々)と仕事をしていた気がする。この博物館で
は大きな展覧会がよく開かれるので開館当初から馴染みの場所だが、前回に個展を開いた
画廊のある三条通りを西へ500メ−トルほどの行った繁華街の中心より少し外れにある
。旧日本銀行京都支店のレンガ造りで重要文化財に指定されている建物の北側に隣接して
新館があり、その5階はフロア全体を4つに区切って各部屋を貸しギャラリ−として使用
できる。今はどうかは知らないが、当時は担当者である事業課主事と面談し、展示する資
料を見せながら許可の判断を仰いだ。許可が下りると、1年のうちの2、3か月のみ設け
てあるかなりの割安料金期間を利用することができる。面談の中で、重文指定のレンガ造
りの建物を使って、入場料金を徴ってもいいと言われたが、そこはもっと広くてはるかに
天井も高い分、ちょっと暗い印象があり、照明設備も問題があるように思えた。それで新
館に決めたが、街中の画廊の倍はある広さで、作品が少なければ間延びして散漫に陥る。
よく訪れるところなので、どういう展示がふさわしいかは前もって予想がついていたが、
個展契約後に会場の寸法を測り、どこに何を並べるか、またこれから作るべき作品を本格
的に練り始めた。主にキモノと屏風を並べるのはこれまでどおりでも、会場が広い分、作
品はいつもより多く要する。半年ほど前には個展が決まっていたが、その間に作れる点数
は大作であればせいぜい2、3点としれているので、公募展出品作のほかに、これまでの
個展には並べられなかった旧作を含めることにした。結果としてキモノ11点、屏風5点
、額入りが4点を並べた。点数だけを見ればさほどではないが、1点の制作に要する日数
や労力を考えると、40代半ばであったからこそ可能であったかもしれない。会場には面
談した事業課主事も訪れた。そしてこんな話を耳にした。その後定年退職したが、筆者の
個展が気になっていたので今日はわざわざ会場に来たと言う。同じように嬉しい言葉を何
人かからもらった。東京方面から来たというある観光客は、屏風作品がそこらの日本画や
洋画より断然面白いと言ってくれたが、そこには染色、しかも友禅によるそうした大きな
平面作品がもの珍しいということもあるだろうが、友禅と聞いてそれをよく知っている人
が想像するのとはおそらく全く違う表現を知ってのことだと思いたい。
いつもより広い場所であり、見栄えを重視するのであれば、衣桁を借りて来てキモノを
展示すればよかったが、面倒でもあるのでいつもどおりに細い金属パイプに袖を通して壁
面にピンで留めた。同じように使い回ししたものとしては、前回に使ったアクリル製の額
がある。これは厚さ8ミリほどのアクリル板2枚の間に裏打ちした作品をそのまま挟み込
むもので、重量は思った以上にある。またそのような形に作ってもらうのにそこそこの値
段がしたから、1回の個展だけではもったいない。長さは2メ−トルほどあるので、その
サイズに飽きれば半分に作り直すこともできるが、まだそのままにしてある。会場となっ
た部屋はコの字形で三方に壁面があり、残る1面の出入口側は幅広い廊下として他の部屋
とつながっている。図1は部屋の左手の壁で、入口からずっと奥に入った地点から撮影し
ている。図5に至るまで部屋を時計回りで巡る。部屋はスポットライトの設備があったが
、別料金ということで願い出なかった。そのため写真はどれも光度が不足している。また
5点の写真では作品の細部がわからないが、これは本ホ−ムペ−ジの『キモノ』や『屏風
』の分野で細部の写真を交えて説明する。図1のキモノ6点は新旧さまざまで、公募展に
出していないものも混じる。左端2点は遊蝶花シリ−ズ、その右は新緑の松、そして藤を
染めた紬のキモノ、それぞれ赤系統の地色を用いた白の胡蝶蘭、白と赤のポピ−の訪問着と続
く。図2はこの6点のキモノの右隣で、灰色地に花菖蒲のキモノと、アクリル額に入った
白の鉄砲百合、同じ花を素材にした屏風『リリウムの翼』。図3は部屋の突き当たりの壁
面全体を示す。出入口から正面奥を見た光景だ。中央にアクリルの桟を使用した3点セッ
トの鉄砲百合をモチ−フにした屏風を並べ、左右から4点の額入り作品で挟んだ。3点の
屏風は受胎告知の隠喩となっている。中央は百合を敷き詰めた空間にひとつの輪が地の紫
としてネガティヴに浮かんで見えるが、これは天使やマリアの頭上の光輪でもあり、また
禅画の円相でもある。遠目にはほとんど白地に濃い円にしか見えないように心がけた。こ
の円はマネ−のつもりではなく、YESの思いからだ。左の屏風は青い地色で天使の羽根
を、右は赤い地色にしてマリアの顔の輪郭内に百合を埋め、その縦の中心線を屏風の折り
目よりやや右にずらして恥じらいを暗示している。左右2点ずつの縦長作品は受胎を祝福
するトランペットということになる。わが家の庭に鉄砲百合の球根を植え、開花してから
たくさんの写生をした。図4からは会場右手壁面に移るが、ここではキモノ2点が写って
いない。図4の2点は同じ花を用いながら、キモノと屏風とでどのように表現に変化を持
たせられるかを考えて作ったもので、この傾向は第2回個展の図5から始まっている。左
はチュ−リップをモチ−フにした訪問着で、生地の地紋もそれに合わせてくねくねと曲線
の多いものにした。右の4曲屏風は前回の個展に出したチュ−リップの花の集まりを唇に
なぞらえた作品の図案につけ足して右側部分を延長したものだ。図5も図4と同じく、同
じ花をキモノと屏風で表現している。振袖は訪問着とは違って作るのに倍以上の時間を要
するので、なるべくなら注文がない限りは作りたくはないが、飾り映えするので、この個
展では屏風とセットにすべく染めた。「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」の
3種の花をみな白色にして組み合わせたが、屏風の方は中央にイタリヤ・ルネサンスの画
家デル・コッサの有名な油彩画を引用し、それを糸目の白抜きの線上げで陰画のように大
きく表現している。
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