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第  回 個展はがき

1996年6月24日〜30日 大阪府枚方市のギャラリー雅土呂(GADORO)

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1段落目
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(図1)



(図2)



(図3)



(図4)



(図5)


んとんと個展開催が続いて、前回から1年後にはまた作品を展示することができた。友 禅界に入った頃はキモノを染めるための反物を買うことに不便を感じた。それは誰かの紹 介もなしに白生地を専門に1反ずつ小売りするような店がほとんどなかったためだが、染 料店や材料店でもどこの先生の弟子であるのかと訊ねられ、京都の友禅界の狭さや閉鎖性 を痛感させられた。ずぶの素人がひとりで材料を揃えてキモノを作るということがまだま だ珍しい時代であったためだが、その後素人専門の大きな染色材料店ができたりして、反 物も入手しやすくなった。それは本職だけを相手にしていては商売が成り立たない時代を 迎えたからで、京都のキモノ生産高がかなり落ち込んだ70年代よりさらに現在は悪化し て、当時の30パ−セントに満たなくなっているそうだ。バブル景気以降にそれが特に加 速化し、店をたたんだ問屋や、あるいは仕事を辞めざるを得なくなった職人が全く珍しく ないほどにたくさんある。しかし一時はそうした人々はかなりいい目をして資産を蓄えた ようで、不況ゆえの廃業や商売替えもある程度は納得できるというものだが、現在のよう に日本の人件費で計算をしていてはほとんど天文学的な商品価格になってしまいかねない キモノ業界では、先が見えず、また根を詰める割りに低賃金ということがあって若い後継 者が育ちにくくなっている。そのためアジアの経済発展諸国の安い人件費を頼って、半製 品をそうした国で作って、日本で完成させて売るという商売が、西陣の帯だけではなく友 禅染でも増えている。余談になったが、丹後に白生地を織らせて京都でたくさんさばくと いう商売をしていた男性Kがある日、筆者を訪ねて来たことがある。それはこれからは作 家専門に生地を売るという商売の方針転換を思ってのことであったが、いつも白生地を買 うのにあまり選択肢がなかったので、ちょうどよい機会でもあった。しかしそうしたわず かな商売でもすぐに成り立たず、94年にはついに店を閉めてしまったが、話好きな人で 、しかも市内各地の友禅作家に納品していることもあって業界や作家の事情通であり、そ うした情報には疎い筆者にはたまに訪れるKの話は面白いものであった。そのようにして 何年か経ち、次第にお互いの性格もわかって来た頃、Kは住まいがある枚方市に懇意にし ている小さな画廊があるので、そこで個展をしてみないかと言ってくれた。まず場所を見 てからと考え、前回の個展より以前か後か忘れたが、やはりKの紹介で個展を開いていた 友禅作家の作品を見ることも兼ねて画廊を訪れ、別の日にKは画廊主である女性を連れて わが家に作品を見に来たりもした。画廊は京阪の枚方駅から徒歩10分の住宅地区の中に あって、今まで開いた個展のどこよりも狭いため、大きな作品は並べられず、また無料で 個展ができる代わりになるべく売れる小品を用意し、売れた場合は価格の何割を画廊主に 納めるという取り決めとなった。これは画廊の企画展の場合はごく普通の方法であり、貸 し画廊でもそのようなことがある。自作を各地の画廊に持ち込んで、画廊側と一緒に儲け るための企画展をさせてもらうことを続けている作家もいるが、そうした営業力を身につ けている一方で新作を次々に生み出すのはなかなか困難なことで、有名になって作品が高 値で売れるようになるためには、ほとんど会社組織に近い数の人材の取り巻きが欠かせな いと思う。それはさておき、結果的には祝儀として小品を買ってくれた筆者の知人が何人 かあり、また画廊側の知り合いが訪問着を気前よく買ってくれたりするなど、これまでの 個展には全くなかった売り上げがあった。それまで筆者がKから購入した白生地など指折 って数えられるほど少ないことを考えると、Kの紹介や計らいへの感謝に耐えない。
 小さな画廊とはいえ、今までの個展に出した作品は原則としては並べないという主義を 貫いた。ただし図5の右奥に見えるように、例外的に画廊主から乞われて第2回個展の桜 模様の屏風は半ば物置を隠すような狭いところに展示した。出品作は屏風が2点、キモノ が4点、額入り作品3点、掛軸1点、スカ−フとテ−ブル・センタ−が5点ずつ、ネクタ イが20本ほどで、これまでになくヴァラエティに富んだ。ネクタイなどの小品も基本的 にはキモノと同じ工程の友禅で染めるため、まとまった数を一度に作らなければ蒸しなど 外注費が高くついて割りに合わない。そうした小品でもみな柄や地色をひとつずつ変えて 作り、ひとつとして同じものは染めないないが、作った分だけ全部売れることはなく、ま た人々が思うよりはるかに材料費や仕立て代などが高く、どうしても百貨店に並ぶような ものに比べると割高な価格設定にならざるを得ない。これは京都のキモノ業界が陥ったの と全く同じ構造と言えるかもしれないが、1点ずつ異なった手づくり商品で、しかも通常 の量産ものとは全然違った感覚や柄行きであるならば、それはごく一部の人にせよ、受け 入れられるはずべきものではないだろうか。ただ価格が安ければ何でもよいという消費感 覚の一方に、手間暇かけてもごくわずかしかできない作品が、せめて作者の生活が人並み とまでは行かなくても、そこそこ次作を作り得る足しになるだけの価格で売れなければ、 芸術や伝統文化など全く育って行きようがないという事実をもっと知る人があってよい。 これは余談だが、筆者は他の人の作品をしばしば買う。それは作品に込められた思いを酌 み取って心を潤すことが目的だが、作品は見ただけではわからず、自分のお金で買って一 緒に暮らすことで初めて見えて来るものがあるからだ。自作を誰かに買ってもらうのであ れば、自分も気に入った作品を買わなければ物事が循環しないという思いもある。
 図1は画廊正面を写す。中央の出入口の左右に2車線の通りに面したウィンドウがあっ て、そこに小品を展示した。これは気に入った額縁を以前に買い込んでいて、それに合わ せて作品を染めた。左はグラリオ−サという派手は花で、額縁はタイ製の珍しい彫刻が載 ったものを使った。右の白の額縁の作品は写真からはわかりにくいが、白の牡丹を大きく 染めた。図2から図5は中に入って左側の壁から順に時計回りに展示を示している。図2 の左はよくテ−マに選ぶ新緑の松を染め、刺繍や金箔もたくさん施した留袖だ。留袖を作 品として発表するのは初めてのことだが、これは売り手の注文によって作ったものだ。し かしその人物は別の作家にも依頼していて、結局材料費も何もかも全部こっち持ちで当て 馬にされた格好でキャンセルされた。動くお金が大きいだけに、そういった商売人がいる のもキモノ業界だ。桜文様をびっしり全面に詰めた右側に写る振袖は10年前に一旦仕上 がったのに気に入らず、ふたたび枝や幹を濃く染めた。最初から作る方が早く、またもっ とすっきりと仕上がったが、せっかくの生地でもあるので修正を考えた。振袖の下に見え ている黒い棚にはスカ−フが並んでいて、その拡大は図3が示す。5点のスカ−フは同じ サイズで、そうした白生地を専門に売る店で求める。耳の部分をミシンで仕立てる手間が あるが、これも専門業者に持参する。スカ−フは裏表が同じ色合いで染まる必要があって 、友禅ではそれができにくく、また安価な商品でもあるのでその手間もかけられないので 、張った生地にそのまま染料をつけた筆で描き、地色となる部分はロ−で堰出しした後、 刷毛で染めた。したがって無線友禅(「素描き」とも言う)とロ−ケツ染の併用と言って よい。図4の中央は横長の風炉先屏風の形式で染めた作品で、周囲の桟は取りつけていな い。いつもとは違うタイプの絵を染めようと思ったもので、自分にはそれぞれ意味のある デフォルメした人体をいろいろと配置している。こうした作品ばかりをもっと作ろうと考 えたが今のところはこの1点のみとなっている。この屏風の上にも額入り作品を掛けたの は、画廊をつぶさに見て、どこにどのような空間が空くかを考えた結果による。屏風の手 前にはかりにくいがネクタイを並べていて、その左にはテ−ブル・センタ−がわずかに見 える。テ−ブル・センタ−は今までのキモノや屏風を染める際に使用した写生を元にして いるが、まだ全くモチ−フにはして来なかった花を実験的に染めたりもしている。こうし た小品で実験したうえで大作づくりへの感触が得るられる場合がある。図5左はいつもの 遊蝶花シリ−ズの1点で個展中に売れたが、同シリ−ズの中でも最も制作日数を要したキ モノで、このような凝った仕事はもうできない気がする。

  第1回個展 1987年
  第2回個展 1991年
  第3回個展 1993年
  第4回個展 1995年
  第6回個展 1996年
  第7回個展 1999年

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