個展はがき7回分、20枚ずつの束模様
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気
持ちがあれば今は誰でも気軽に自分で個展を開けるようになった。20年前に比べると
、京都の繁華なところでは、何か物を売るよりかは貸し画廊にした方がいいとばかりに、
年々そうしたからっぽの空間が増加しているからだ。グル−プ展を考えない場合、ある程
度まとまった数の作品発表には、そうした会場を自分で1週間ほど借りるか、あるいは公
募展に出品して受賞を重ね、そのうちに画廊主の目に止まって企画展を開いてもらえるよ
うになるかのいずれかの道がある。前者と後者の画廊はほとんど専門化していて、当然後
者の方は歴史や格があり、しかも賃貸しはしないところが主流で、美術の学芸員といった
美術関係者がよく足を運ぶ。また、前者にもそれなりに上下のクラスがあって、人気のあ
る画廊では毎週個展やグル−プ展が途切れずに開かれるが、一方ではほとんど借り手がな
くて閉じているものもある。画廊は内部の形や広さも含め、それぞれどういったジャンル
の美術作品の展示に向くか特徴があり、借り手はそれをよく見極める必要がある。しかし
、せっかくよいと思った画廊でも、誰に対しても、またどのような作品の展示にも貸すと
いうことがないのが普通であるし、人気のある貸し画廊となれば1、2年先まで予定は詰
まっているから、個展に際しての会場選択は簡単ではなく、しかも発表すべき作品を作る
より前に個展会場を決めておく必要があることもしばしばだ。個展を開くのは、人々の意
見を直接聞くのによい機会であることのほかに、本当は作品を買ってもらい、そのことで
少しでも次の制作費の足しになることが目的だ。学校の先生、あるいは会社員をしながら
の作家活動なら定収入があるのでまだしもだが、フリ−で活動している作家にとっては、
会場費を初め作品づくりの経費をどこかで捻出しなければならず、それは作品が売れてこ
そというのが最もありがたい。制作している間は収入がなく、また売れる当ても全くない
のに作るというのであるから、これはほとんど狂気に近い。しかし、有名作家でもない限
り、個展で作品が売れて経費が捻出できることなどほとんど起こらないのが現実だ。それ
でも作品が売れなくてもちっともかまわないといった矜持めいた気持ちがなければ真に迫
力ある作品など生まれない気もする。装飾に終始するキモノ、あるいは友禅ごときにその
ような迫力など無用だと笑う人があるだろうが、さてどうだろうか。
京都は染織の本場であるので、そういった作家の個展は珍しくはない。しかし、キモノ
、特に友禅の場合は、分業制作が建前となっていることもあって、個展はほとんど例がな
い。少なくとも20年ほど前はほとんどそういった個展はなかった。だが、呉服問屋の生
産量低下に伴って、仕事量の減った危機感もあって、直接知り合った人々に買ってもらお
うということから個展を開く作家も少しずつ出て来ている。それでも絵画の個展と比べる
と全く稀なことと言ってよい。その大きな理由は、キモノのメッカである京都で画廊を借
りてキモノを並べても、元々キモノなど珍しくも何ともないという土地柄と、キモノが一
般の美術ファンにとって美術作品ではないという思い、それに、キモノ作家が独力で個展
を開くほどに作品を作り溜めする資力も制作時間もないということなどが挙げられる。数
時間もあれば1点の作品ができるといったことは決してなく、キモノを作るにはとにかく
時間がかかる。型染めやロ−ケツ染めならばさほどでもないかもしれないが、友禅ではそ
うは行かず、作品として人に示したいものをひとりで作るのは、1点で2か月ほどは優に
要する。それに反物などの材料費もかかるから、弟子を持たない、そして定収がない友禅
作家が個展を開くのはとうてい無理という現実がある。それでも作ったものがたくさんあ
れば、狭い自宅では一堂に並べるのは不可能であるから、どこか広いところで展示し、今
後自分の進むべき指針をいろいろと考えたいと思うのは作家としては当然で、筆者はどう
にか今まで個展を重ねて来た。原則として同じ作品は再出品せず、また同じ個展会場は使
用しない方針のもと、キモノ以外に屏風といった平面作品も少しずつ手がけて、従来の友
禅染にはなかった試みをして来たつもりでいる。ここ数年は個展会場も決まっていながら
、誂え注文の仕事をこなすことに追われ、また染色以外の仕事があったりで、なかなか個
展用の作品ができないでいるが、いずれまた京都で新作展を開きたい。
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第1回個展はがきの宛名面
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