Fさんによる『甲日堂日月雑感』
第1回のダイレクトメール用印刷
原稿は初稿ではタイトルが違って
いた。


から200年前に上田秋成が書いた『膽大小心録』は、京都に住んだ人ならではの、 京都に関するさまざまな記述がある。秋成と同じく大阪出身で京都に住む筆者にとって、 最近この秋成への関心が増しているが、『膽大小心録』は一匹狼の奇人であった秋成の最 晩年の記述であるだけに、誰にも遠慮しない率直さや辛辣さが横溢している。たとえば「 狸は又化けようが狐より上手で、きつねほどはれだゝぬ事じゃ。四國ではたぬきがつくげ な。九州では河太郎がつく。京大坂では、おやまや先生たち茶人がついて、なやます事じ ゃ。いづれ安心ではゐられぬ世かい也。」という文章がある。これは、田舎では狐や狸、 河童が人を化かすのに対して、京都や大阪の都会では色茶屋の女たちや諸学諸芸の師匠、 茶の宗匠が金をつかわすということだが、今でもそっくり当てはまるではないか。生活や 名利のために走る諸学諸芸の師を嫌悪した秋成に対して、現在の先生と呼ばれる人種は「 ならばどうして収入を得て生きて行けばいいか」と反論するだろうが、収入を得なくては ならなかったのは江戸時代でも同じことであった。
 世の中が急速に変化し、世界でもトップ・クラスの長寿社会となった現在の日本では、 一流企業に就職しても生涯安泰の保証はなく、また自営、自由業者もずっと同じ調子で仕 事をし続けても安定収入の約束はない。筆者が脱サラ後、京都にやって来て手描友禅染の 師匠に弟子入りした時、周囲のすべての者はその無謀さに大いに驚き、反対した。何を好 んで年収が数分の1に減少し、しかも没落が明白な職業に就くのかというのがその理由で あった。それでも好きな仕事であったので、もう30年近くも続けて来た。一方、当時有 名企業に就職していた友人たちは、ここ数年で会社を辞める、あるいは辞めさせられると いった変化を経験している。それを思えば好きな仕事に早い段階から転身できたことは幸 いであった。確かに没落業種であり、この30年間の落ち込みは急激であった。
 「染め屋を殺すには刃物は要らぬ、白生地を出さなければ充分」という表現が業界にあ る。注文がなければそれでおしまいというわけだ。筆者は独立して20年ほどになるが、 注文がない時は自分で買った白生地で作品をせっせと作って公募展に出品した。そうした 作品はたまに賞金を得たり、売れることがあるし、手元にずっと残っても技量を示す看板 になる。『客は製造できない』とよく言われるが、筆者の場合、客がなくても作品づくり でいくらでも忙しく過ごすことはできる。ただし、当然それには生活を最低限保つための 預貯金が必要だ。筆者は親の資産があるわけではなく、借金をせずに自分の乏しい収入の みで活動を続ける一匹狼であるから、まさに日々是綱渡り、だからこそ楽しく真剣にもな れる。別に秋成に倣うわけではないが、肝が大きい割りに小心なので、人に教えて収入を 得るという道を考えず、また積極的に宣伝もせずで、注文があった場合は小さな仕事でも こなすことを続けて来た。
 筆者の作るキモノは着用者を採寸し、その人の好みの柄を好みの色で1点ものとして染 めるという完全な誂えで、模様の多い本振袖になると、それ1点にかかりきりになっても 制作期間は3か月を越える。それでも直接消費者に売るから呉服屋で買い求めるよりはる かに安い。工程の多い友禅染を最初の下絵から最後の染めまで一貫してひとりで携わるの で、注文が多くてもこなすことはできず、もっぱら縁のある少数の人々にしか作っていな い。現在は年末を目標に、今までの個展や、キモノや屏風といった作品紹介のホームペー ジを作成中だが、それが宣伝になって多忙になることはまずないだろう。だが、こんな短 文も含めて何か事を起こせば、それなりに波紋は生ずるか。秋成なら笑うかもしれないが 。
                         (2005年4月13日)

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