「柬」に加えた字が「黒」。
左は「黒」の金文形で、「柬」と
「火」を合わせた象形文字。
右はそれをホームページ用にアレンジ
したもの。
左の「東」は「ふくろ」の意味で、
中央の「柬」はふくろにものが
詰まった形。右は「火」で、これを

●ホームページ命名の由来

ームページのタイトルをどうするか。これは問題だ。「友禅」という言葉は誰しも一度 は耳にしたことがあろうが、その実態をよく知っている人は少ないだろう。「友禅」を含 むタイトルにすることはすぐに決めた。ただし漢字では思い感じ。何しろ「禅」が入って いる。そこで「ゆうぜん」。これなら「悠然」を当てることもできて、楽観の印象があっ てよい。しかし「ゆうぜん」だけでは味気ない。そこで「ゆうゆうゆうぜん」とした。「 ゆうゆう」は「優游」か「悠悠」、「ゆうぜん」も「友有」「幽涌」など、いくらでも当 て字ができそうだ。「ゆうゆうゆうぜん」ではちょっと長いので、「3UZEN」(三友 善)とやるのもいいか。いずれにしろ簡単にホームページ名は決まった。後はひとりでそ れは歩いて行くだろう。

 次にトップ画面、すなわちホームページの画面をどうするか。一目で印象に残るキャラクタ−がほしい。最初は画面背景を黒地に固定することに決めた。八卦見によれば、筆者の保護色は水の透明らしく、それはしいて言えば「黒」とのこと。そこで「黒」の字でキャラクタ−を作ることにした。「黒」は象形文字で、その金文形はまるで地面に立つ人物だ。この字の下部は火炎の形で、上部は異説があるが、白川静は「柬(かん)」としている。これはふくろの中にものがある形を示すという。つまり「黒」は下から火を加えて熏蒸し、黒の色を取るとことを示す。墨 を作るために煤を集めるようなことか。ア−モンド型の頭部に点が4個、両手両足の上にも それぞれ1個ずつ、計8個の点がついた「黒」の金文形はそのままでキャラクターに持って 来い。ほとんど何も変更せずにそれを拡大して描いた。ただし絵巻物を念頭に置き、全体を やや左に傾けて歩む姿とし、8個の点は全部宝珠形に変容させ、それをホームページ内の8 つの部門へ飛べるアイコンとした。そのようにしてホームページ画面のデザインを決めたが、たっぷり1年かけて小さな変更を限りなく繰り返し続け、ようやく好みのものになったところで背景が黒地のままではうっとうしいと感じるようになった。それで当初の黒地のこだわりはもっぱら夜の時間帯だけにし、日中は1時間毎に空の色をイメージして背景色を変えることにした。これはころころと画面の印象が変わって飽きが来ないし、時計代わりにもなるので気に入っている。
 さて、次になぜ宝珠をアイコンにしようと思ったかだ。宝珠は密教の曼陀羅でも馴染みだが、摩尼(mani)とも言って、濁った水を清らかにする力があるとされる。Let’s make the black water turn clean. 友禅が京都で発達て今も生産の本場であり続けているのは、京都が長らく日本の中心であったからという理由ではなく、酒造りにも欠かせない清らかで豊富な地下水や、あるいは鴨川や桂川といった市内を縦貫する河川があったせいでもある。染色にはきれいな水がたくさん必要なのだ。だが、宝珠を選んだ理由もっとほかにある。
 友禅の世界に入ってすぐ、師匠にキモノの公募展に連れて行ってもらった。京都北山に ある府立総合資料館だ。たまたま会場の隣のひっそりとした部屋で京都の郷土玩具として 有名な伏見人形展をやっていた。ただ古ぼけて不気味な土人形に思え、全く興味は抱けな かった。ところがそれから20年ほど経ったある日、突如伏見人形の美しさに開眼した。 今では100点以上も所有しているが、2年前にはひとり府立総合資料館に赴いて伏見人 形の収蔵庫に入らせてもらった。学芸員は筆者のことをある公募展で受賞した屏風作品で 知ってくれていたのだが、思えばあっと言う間の25年、伏見人形は昔と変わらぬままな がら、全く新しい笑顔で筆者を大歓迎してくれているように思えた。自分にとって本当に 必要なものは人生でさほど多くは出会わないし、またとっくに出会っていてもなかなかそ れがわからなかったりする。伏見人形は日本全国の土人形の源になったが、友禅も同じよ うなところがある。
 伏見人形に興味を抱くよりもっと前、1990年代半ばのこと、つき合いで出かけたあ る骨董入札会の会場で大きな土鈴コレクションの出品を見た。戦前のもので、毎年売り出 される7、8種類を7、8年分ほど揃えたものだった。開始価格は6、7万円で、買う気 はなかった。また買っても置き場所に困るほど嵩がある。その土鈴のことは2、3年後に たまたま図書館で郷土玩具の事典を繙いていて様子がわかった。蚕鈴と呼ぶらしい。7、 8種のうち、宝珠型の1点のみ写真が載っていた。見れば見るほど実に見事。作者は愛知 の尾西市在住の小島一夫という人で、岐阜の美江寺境内で毎年3月1日に販売するとある 。宝珠型の蚕鈴をすぐにほしくなり、小島氏に手紙を出した。1998年のことだ。てい ねいな返事がやがて届いた。だが、体調すぐれず、もはや作っていないとあった。
 蚕鈴を蚕場に吊るしておけばねずみも寄らず、悠然と絹をよく吐いてくれると言い伝え がある。美江寺付近にはおそらくもはや養蚕業者はおらず、また小島氏のような作り手も いなくなる。宝珠型蚕鈴1個の美を作り出せる人生に匹敵する生活が今に日本にどれほど あろうか。残念なことだ。伏見人形でも宝珠は作っているが、形の美しさにおいて小島氏 のものにはるか及ばない。伏見人形を集めるのと並行して、やがて小島氏の蚕鈴は大小の ものを数種入手した。高さ30センチほどのものも見たことがあるが、いったいどれほど の種類があるのかは知らない。集めた蚕鈴は友禅の仕事場の高いところに並べて飾ってあ る。友禅は絹を扱うし、蚕は神様同然だ。下手に染めると蚕さんにもうしわけない。
 友禅の自作を紹介するホ−ムペ−ジのアイコンの形として、小島氏御本人には無断では あるが宝珠型蚕鈴の輪郭を引用させていただく。それをクリックするたびに音が鳴り、可 愛い蚕の子も喜ぶ。宝珠を8個携えた「黒」のキャラクタ−名はずばり、maniman だ。人と人の間に立つ私、人の間の愛、man i man、まにまにマニマン、ゆうゆ うゆうぜん