(図1)無地染めの反物。本画面の図4
から図9の素材となったもの。
(図2)図1や図4から図9を染める
に当たっての色鉛筆による案。


●色見本の本

都市内にはもっぱら染織関係の本を発刊する出版社がいくつかあった。それらの大手は 90年代に次々と姿を消した。染織産業の不況の煽りを受けた格好だ。染織関係の本もい ろいろで、染織デザインに役立つような骨董的美術作品を1冊数万円以上の豪華本で次々 と出すといった方向や、業者相手に開催されるキモノの展示会に取材し、その新作キモノ の図版を、説明なしにただ並べて印刷しただけのグラフ雑誌サイズの雑誌まであるが、ど れも業界にいなければおよそ目にしないと言ってよい。一般の本の価格からすると、部数 が捌けないこともあって価格はかなり割高だが、古書界では一般向きでないことから、呆 れるほど安い価格で流通している。京都市内で年に3回ほど開催される大きな古書祭りで もそうした本はよく並ぶが、一山まとめていくらの投げ売りに近い。今は確かにそうした 業界雑誌はほとんど何の価値もないように見える。だが、資料というものはいつも他に代 わるものがない。そのため、そんな見捨てられたも同然の本は100年もすれば昭和のキ モノを記録する重要なものになっているだろう。すでに出版社が存在せず、またあったと してもバックナンバーを全部保管しておらず、また京都市内のどの図書館もそのような業 界本を重視して保存には努めていない。個人では膨大な本や雑誌を保管しておく場所がな いし、全部購入するには経済的にも不可能だ。会社も含めてもはや業界関係者の誰も資料 としてしっかり全部保管している人はいないであろう。
 豪華本や月刊誌ならまだしも、これこそ本当の業界関係者しか必要のないものに、色見 本帖がある。これはキモノ用の絹の反物を無地1色に染め、それを和紙で裏打ちした後、 縦横数センチの長方形にカットした台紙に貼り込んだものだ。一応は次の季節に流行しそ うな色を揃えているが、ほとんどはキモノの地色に使用出来そうな比較的渋い色を適当に 染めて並べているだけだ。こうした色見本は、引染め屋に色を指定する場合には重宝する もので、色見本帖から直接一部を切り取って反物の端に結んだ渋札にホッチキスでとめて 引染め屋に指定する。色見本は印刷における色指定と同じようなもので、キモノを染める のに外注を使う場合には欠かせない。もちろん戦前からあった。大正時代の豪華な色見本 帖は今でもたまに古書で見かける。それらは今作られて要るものと全く同じと言ってよく 、いかに京都のキモノ業界が同じことをずっと繰り返して来ているかがわかる。だが、染 織関係の出版社が姿を消して行くのと同時にそうした色見本帖を作る会社もなくなって行 った。
 筆者が個展した際、京都の美術出版業のフジアート出版の人がやって来て、同社が毎月 発刊している見本帖を担当してもらえないかという話があった。同社は『月刊いろ』と題 して毎月30色を選んで色見本帖を発売していた。キャッチ・コピーは「新しいカラー時 代を創る−本格派の色見本!」となっている。それまでその存在を知ってはいたが、ほか にもたくさん色見本帖は売り出されているので、買ったことも使用したこともなかった。 筆者が手がけたのは1994年の第264号で、色番号としては8587から8616ま でだ。オレンジ色の紙袋に収められ、そこには『特集「染色作家 大山甲日選定 変容す る色の世界」』と印刷されている。定価は税抜き本体が4500円となっている。当時同 社は毎月違う染織作家に色の選定を依頼していたようで、筆者が担当した後、同社からは ほかに推薦してもらえる作家がいないかと訊ねられた。キモノ業界ではなく、日展系のパ ネルを専門に染める作家はまだ担当したことがないようであった。これは、京都市内には 多くの染色作家が住むが、いかにキモノ関係とそうではない芸術指向の作家とに分かれて いるかの事情をよく説明している。それはさておき、すぐに日展系の作家から多少は紹介 出来ると伝えたが、話はそのままになり、やがて同社は廃業してしまった。『月刊いろ』 が何部発売されていたのかは知らないが、色見本ひとつのサイズは幅3、高さ8.5セン チで、1色ずつ染めた反物は12メートルの長さ、幅は40センチ近いことから、おおよ そどれほどの部数が作れるかはわかる。ついでながら、同社の女性社長からはアメリカの ジョー・プライス氏を紹介するので、氏の若冲絵画コレクションをぜひとも観に行けばよ いと言われたことも思い出す。
 ここで紹介するのは筆者が担当した号だ。ふたつのことを言っておく。まず、30色は 全部自分で染めた(その完成状態は図1)。これは例外的で、自分では染めずに色だけ指定して引染めの会社に依 頼していた作家がほとんどであった。次に、30色が5色ずつ6枚の台紙に分けて貼られ るので、それぞれにタイトルをつけ、その色を選んだ思いを込めた。また最初に1ページ の扉用ページがあった(図3)ので、そこには文章を書かせてもらった。これも例外的なことであ った。ただ色見本を並べて貼り込んだだけのものなら昔からあるし、染色作家を自認する のであれば、それなりの主張と個性があってしかるべきであると思ったのだ。その結果、 この『月刊いろ』の依頼仕事はそれなりに満足の行くものになった。業界関係の中でもご く少数の人しか目にしていないはずであるし、古書店でもまず入手出来ないものであろう から、ここでそのすべてを紹介する。30色はみな好きな色だが、これらだけを特に好む のではない。すべての色は同じ価値があるし、ある色は別の色との対比でさまざまに表情 を変える。したがって各5色ずつはそのまとまりにおいて意味を持っている。画像はクリ ックすれば拡大するので、文章の判読には差し支えがないと思う。なお、色見本はかなり補正したが、パソコンの画面では正確には表示はされないことを痛感した。そのため、色合いはおおよそのものと考えていただきたい。なお、各色見本の布片下の色名はフジアート出版がそえたもので、筆者は関知しなかった。


(図3)扉:各色見本ページの説明
(図4)ガリマール版『星の王子さま』の
挿絵の印刷色による構成
(図5)岩波書店版『星の王子さま』から
抽出された観念的変更
(図6)1940年代のマティスの色彩から
引用したジャズ即興的解釈
(図7)ヨハネス・イッテンの色彩論に
おける明暗対比による練習
(図8)未存在のある象徴的国家のための
旗に対する色彩試案
(図9)「風の中、アネモネを写生する
星の王子」へのオマージュ

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