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 二曲屏風『夏日』

●17 糊堰出し部の彩色

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(図1)糊で堰出しした内部を
小刷毛で少しずつ彩色する。


の工程では大きな刷毛で全体を染めることはせず、小刷毛を筆のように使って細かい表 現の説明をするが、その前に前項で述べた屏風下部の濃い紫色となる地の区画や、屏風左 扇下方のゴッホのひまわりの模写区画の染色について述べておかねばならない。まず紫色 の区画だが、ここは最初の引染め時にぼかしで中程度の紫色を引染めしておいた。そして 次にその下方を糊で堰出しし、花の下地となった錆びた草色をぼかしで何度も染めた。こ のことで、先の中間色の紫と草色が合わさった色に仕上がった。それは、この濃い紫とな るべき区画にひまわりの茎が林立していて、その茎を濃い草色にするために必然的にそう なったものであって、本当は最終的にはもっと別の色にすべき予定のものだ。そのために 、ひまわりの茎が充分に濃い錆びた草色になるまでぼかし染めを重ね終わった時点で、そ れらの茎全部を糊伏せし、糊の乾燥後にこの区画内に濃い鮮やかな紫を引染めすることで 所定の濃い紫色を求めた。つまりこの濃い紫の区画は最初の引染めの紫、そして糊堰出し 後の草色の数度の引染め、そして茎を伏せてのさらなる鮮やかな紫というように何度も染 め重ねることで完成している。また、ゴッホのひまわり区画だが、これは濃い紫色となる 区画とは隣接しているが、花とは独立した位置にあるもので、本来は花の錆びた草色を引 かずに自由な色を刷毛で引くことがある程度は出来るようなものだが、濃い紫色区画と糸 目1本で接しているために、双方を完全に染め分けるには友禅による手彩色に頼らない限 り、どちらかの区画を糊やローで伏せる必要がある。そこで、ここで採った方法は、濃い 紫色区画もゴッホの区画も同時に前述の茎の錆びた草色になるまで引染めを繰り返し、ゴ ッホ区画が妥当な濃い草色、これは茎よりももっと濃いが、になった時点でその全面を糊 伏せすることで濃い紫色区画の染めが行なえるようにしたことだ。このあたりはローケツ 染めの染色方法に似てなかなか複雑であり、染め上がった実物を前に説明してもなかなか 理解は難しい。もっと豊富な工程絵図を示して述べるべきだが、糊伏せと引染めをいかに 併用しながら順次濃い色を染めて行くかがわかれば、後はその応用で複雑な染色は可能と なる。糊堰出しされた区画が独立していれば、当然そこだけはぼかしに頼らずに完全に別 種の色を引き切ることが出来るが、そうした絵ばかりで構成すると染色作品としては少し も面白くはならない。そのため、隣合って色が異なる区画を実現するためには、糊伏せや 堰出しをどのように工夫するかを下絵段階で熟考しておくしかない。そして、途中で工程 や色の変更が出来ないほど複雑な工程でありながら、またそれをあまり失敗せずに無理な くこなせるような絵の構図でもなくてはならない。
 話が前後するが、ここで述べている作品でも独立した糊堰出しの区画は存在する。それ は上部の雲がそうであるし、それ以外としては右扇下方の縦に2列に並んだ同じ形の9つ の円がある。これは最初の糊伏せの際には伏せられていたもので、次の糊堰出しで黄色に 染めたが、雲以外の全体が当初草色で全部引き切られる時、この円だけは花とはごくわず かな糊の幅で独立していたので別の色に染めることが可能であった。もちろん最初からそ れを考えて下絵を描いていたが、糊の幅は5ミリもあれば引染めの刷毛を避けるには充分 であり、またその程度の幅ならば、遠目には違う色の領域が隣接しているようにも見える ので、こうしたごく幅の狭い糊伏せによって色を染め分ける構図を、全体として複雑な染 色工程にうまく混在させて表現に幅を持たせる。必要最小限の蒸し水元の回数の中でいか に糊伏せや堰出しを部分的に施しながら、全体をより多色でしかしも無駄なくすっきりと 見せるかという工夫が作品を豊かに見せると思う。9つの円の色は下絵段階でも決まらな かったが、これは他の絵とは完全に独立したものであるので、糊伏せさえしておけば後で 筆による彩色で済ませられるという思いがあったからだ。つまり、地色やひまわりの花な ど、大方の面積が完成した後で決めても遅くはなく、そのためにまず染めるとしても後で 支障のないような明るい色にしておくべき必要があった。そこで花全体に引いた草色には せずにもっと明るい黄色にした。また、どうせ後で彩色するのであれば、糊堰出し後にわ ざわざ黄色に染めることもなく、白生地のままにしておいてもよかったが、白生地部分は 、以下で述べるように日輪のみと決めていたし、またせっかく堰出しして染められる状態 にあるから、取りあえず妥当と思える黄色を染めた。
 さて、次は挿し友禅に近い重要な工程だ。ここで述べている屏風の絵の大半を占めるの はひまわりの葉や茎で、その染色に時間と凝った技法を最も費やしたと言ってよい。前項 で全体を草色で染めたひまわりを、今度は小さな擦り込み刷毛を使って葉の葉脈を中心に 絵を描くような感覚で濃い緑色でぼかし風に少しずつ丹念に染めることで、葉に立体感を 出した。これは防染と引染めによるフラットな仕上がりからすればかなり絵画に近い、染 めとはあまり呼べない描画とも言える方法だが、ひまわりを写生にかなり忠実に描いてい ることから、着色もそれにしたがって立体的に見えるようにした。またここで述べる小さ な擦り込み刷毛を使っての染色は紅型などには通常行なわれているもので、何ら珍しくは ないが、その表現は筆者独特のもので、水墨画の渇筆の方法に似ている。毛幅が2分から 5分程度のごく小さな丸刷毛を使い、毛は固い黒毛のものを使用する。そしてかなり使い 古して毛先全体が丸くなったものがよい。これに濃い染料を含ませ、すぐ雑巾で拭い取り 、その直後ごくわずかに付着した染料で根気よく擦り込んで行く。濃い色を使えばこの作 業は数回の擦り込みで所定の色になるが、刷毛足が出て醜くなりやすいので、なるべく濃 過ぎる色は使わず、何度も根気よく繰り返し擦り込んで染めることで自然なぼかし効果を 得る。また調子を見ながら少しずつ染めて行けば、濃く染め過ぎてしまうことはないし、 全体をざっと仕上げた後、足りない部分をまた濃くすることも出来る。この擦り込みは電 熱器は使用しない。また、糸目際ぎりぎりであってもすでに豆汁の効果が充分に利いてい るので、ほとんど色の泣きは生じない。生地表面に渇筆で擦り込むから、裏面にまで染料 が浸透しないように思うが、案外そうでもない。雑巾に吸い取らせる染料の方がはるかに 多いので、筆で彩色する時の感覚とは違って多めに染料を用意しておく。とはいえ引染め に使用する分に比較すればはるかに少なくて済む。葉や茎などのぼかしがこのようにして 全部終わると、次にひまわりの種子の部分を焦茶色でぼかし染めするが、これより前に種 子全体に予め濃い山吹色を刷毛で引いておく。つまり、前項で述べた葉の草色の上に山吹 色を重ねることでひまわりの種子全体の雰囲気を作る。ひまわりの種子の一粒ずつの表現 を糸目ではしていなかったので、ここでの種子部分の染めはぼかしの利いた「的」のよう な形にとどめている。これは最初から微細な筆による友禅に頼らないことを決めていたた めでもあり、全体として見れば花よりもむしろ葉の表現に凝り、時間もかけている。これ は下絵段階でそう決めたからであって、もっと他の彩色方法でもよいのは言うまでもない 。葉を立体的にぼかしで染めずに平板にしてもよいが、その場合は絵がもっと文様化され ている必要がある。ここでは写生した形をほとんどそのまま利用しているので、なるべく リアルなぼかし表現を想定した。小下絵の段階でそうした技術的なことまで見越して、モ チーフをどの程度簡略化して描くかそうでないかを決める必要がある。
 次にひまわり全体を包むような形で描かれた日輪がある。これは二重の円で、糸目でく くってはおらず、しかも内部の仕上がりは白生地のままとなる。この日輪は最初の糊伏せ の際、地色を赤とひまわり部のオレンジに染め分けるための物理的な堰になっていたもの だ。この日輪は絵としては完全に記号的文様的、そして象徴的なものだが、色面の面積対 比や四角い屏風の中における丸という要素の対照性、さらにはひまわりとのアナロジーと いった意味合いを想定しつつ、技術的にも充分効果があって作業がしやすいように考えた ものだ。日輪とひまわりが交差する部分をどのようにすれば無理なく望みの配色が染めら れるかを小下絵でよく考えている。また日輪部分は当然最初の地色の引染め時にはすっか り糊伏せされていたし、また糊堰出しの際にも伏せられる必要があるから、二度糊伏せし たことになる。ただし、二度目は日輪内部に位置する葉を染める必要があるために、それ らの部分のみは伏せずに堰出しした。またこの日輪は最後まで白生地のままで彩色しない から、それとのコントラストを考えて、日輪内部の葉は全部黒色にすることに決めていた 。挿し友禅と同様、黒色はうすい色から順に挿して最後に染めるべきものであるから、葉 や茎などの小刷毛によるぼかし染めを全部終えた後に行なう。この時、葉のぼかしであま った濃い緑色や、種子の茶色を混ぜて黒に近い濃い色を作ったが、このように黒の染料を 使用せずに黒に近い色を作る方が仕上がりが微妙な色合いになってよい。また、日輪内部 の黒をすっきりと染めるには糊で堰出しすることが最もよいが、ここでは緑の葉の面積が 広大であるのでそれはせず、電熱器で炙りながらの筆による彩色とした。このことは本項 の最初で述べた屏風下部の濃い紫色を得るために施した茎部分の糊伏せ行為とは矛盾する と言ってよいが、濃い紫色の区画は大きな無地であり、大刷毛による引染めに頼らなけれ ば色むらが生ずる。一方、日輪内の葉は糸目がたくさん入っていることもあって、筆で彩 色するにはそうした葉の小区画ごとに筆休めが出来るため、色むらにはなりにくい事情が ある。こうした差を考慮して同じような濃い色の染色でも糊堰出しに頼ったり、あるいは 電熱器で炙りながらの挿し友禅を採用したりする。
 濃度の高い色は粘度も高く、電熱器で強く炙らなくても生地裏面から泣くことはほとん どないので、なるべくなら電熱器は使用しない方がよい。また、ここでは緑色の葉と隣接 している箇所はさほど多くなく、大半は糊で堰出しされているので、わざわざ緑色の葉と の隣接部を糊で堰出しせずに、そのまま電熱器で乾燥もさせずに1寸程度の丸刷毛でざく ざくと一気に染めることも案外可能だ。だが、黒色では日輪外の緑の葉には泣いてはかな り目立つし、刷毛からちょっとした飛沫がすでに染まっている緑の葉に染まりつく危険が あるので、無難な方法に頼るべきだ。それはこの黒で染めるべき部分が刷毛で一気に染め ても筆で彩色してもあまり変化のない程度の面積であることによる。これがもっと大きな 面積であれば糊で堰出して刷毛で染める。そしてこの場合、すでに染め終わっている緑の 葉や茎のうえにネバ糊を置くことになるが、蒸しをしなくても色は動かないので、そのま ますぐに糊伏せしてよい。これは原理的には間違っているが、経験上から断言出来る。そ れはネバ糊の濃度が高く、また彩色部分を比較的短時間のうちに伏せてしまうため、そし て生地に接した糊をしつこく擦らないことによる。それに彩色した葉や茎はかなり複雑な 絵になっているため、仮に色がごくわずかに動いたとしてもほとんど目立たない。


  11,豆汁地入れ
  12,引染め
  13,蒸し
  14,水元
  15,糊堰出し
  16,糊堰出し部の引染め
     18,再蒸し、水元
  19,乾燥
  20,糊抜染
  21,彩色
  22,ロ−堰出し
  23,墨流し染め
  24,ロー吹雪
  25,ロー吹雪部の彩色
  26,ロー・ゴム・オール
  27,表具   1,受注
  2,写生
  3,小下絵
  4,下絵
  5,白生地の用意
  6,青花写し
  7,糸目
  8,地入れ
  9,色糊置き
  10,糊伏せ
  
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