『工程』トップへ



 本振袖『四君子文』

●1 受注、面談、採寸



色見本として作った微細な絹片



鯨尺(左の目盛り)とメートル法の物差し。
画像は6寸6分:25センチ


来合いの商品から自分の好みのものを選ぶという消費方法があたりまえになっている今 日、ほとんどの人にとってはキモノもまたたくさんの品揃えがなされている百貨店や呉服 店で買う以外に方法がない。キモノや帯は長い年月の中で仕上がって来た流通ルートがあ って、それらから離れて個人的に作られるものは、身近な人々にのみ知られてその範囲内 で制作と売買が充足しているのが普通で、呉服業界が製造するものからすればほぼゼロに 近いほどの数量しか占めない。しかし、出来合いの商品は誰にでも似合うように無難な路 線を狙って作られているものであるだけに、誰にとってもあまり似合わないという見方も できる。江戸期のキモノはいわゆる小下絵集である友禅雛形本を客に示し、それをもとに 地色や模様を修正しながら着用者の意向に添ったものを作ったから、今で言うイージー・ オーダー生産に近かった。もちろん見込み生産の出来合いのものもあれば、小下絵段階か ら一点ものとして誂えるものもあったはずだが、現在ではほとんどが予め一定量の販売数 を見込んで同じ図柄を染める見込み生産品が主流を占めるのが実情と言ってもよい。そう した商品は身幅の寸法が標準に作られているため、太った人や痩せた人が着用するならば 、その体形に合わせて仕立てをするために、脇部の絵模様が合わない。キモノは洋服とは 違ってある程度の体格の変化には対応はできるような構造にはなってはいるが、キモノ全 面にわたってたくさんの柄がぴたり縫い目で合うように染められている総絵羽ものであれ ば、その寸法で仕立てない限り、脇部で絵柄が合わない事態が生ずる。そういうことが生 じないように、たいていのキモノは両身頃の脇部の縫い目における柄置きは避けていたり 、また多少身幅が大小に仕立てられても融通が効くような絵つけの工夫がなされている。 そいした工夫は下絵製作者のプロとしての気配りを示すものだが、それでもどこか苦し紛 れの、いたし方のない行為と言える。
 結局最もいいのは、最初から着用者がわかっていて、その着用者と相談のうえに、ぴっ たり寸法も合って、どういう地色や柄行きのキモノが似合うのかを決めることだ。つまり 完全に一品制作ものとして誂えることだが、この場合、着用者にとって当初の思いとは違 うものが出来上がる懸念がある。実際の染める前に完成品と同じものがパソコン画面上に 仮想的に再現できたとしても、問題は完全には払拭できない。衣装となれば、実物を羽織 ってみて初めて着用者に似合うかどうか、満足するものであるかどうかがわかるからだ。 ところが、現実的には製作者としてもどういうものが仕上がるかは最初からすっかりわか っているものではない。確かに完成作が脳裏に浮かんでいなければ作り進めはしないが、 誂えとなると、作者にとっても今までに試みたことのない工程や絵模様を染めてみたくな るもので、実験的なことができなければ作る意味も乏しく思える。以前に作ったことのあ るものと同じものを作れと言われるのが最も面白くない仕事で、以前に作ったものを参考 にしながら、それを改良したものを作りたいのが作家魂というものだ。したがって頭の中 にはおおよその完成作は見えていて、それを注文者が着用すれば似合うという自信はある のだが、それを現実のものとするには振袖の場合には、その1点にかかりっきりになって も、実際に着用できるまでの手縫いの縫製作業、つまり仕立ての工程を含むと、製作に優 に3か月は要する。そのため完成したものを気に入ってもらわなければ、もう一度最初か ら別なものを作り直すことはほとんどできない相談となる。もっとも、最初に要した3か 月と材料費を負担してもらえるのであれば話は別だが、そういう注文者はまずいないであ ろうから、注文者と予め綿密に相談して、完成作の様子を小下絵、あるいは部分的に原寸 大で描いて色づけした図案などを示し、極力後でトラブルが生じないようにする。また出 来上がりが心配な注文者は最初から注文もして来ないから、たいていは問題が生じて気ま ずくなることはない。
 作者は小下絵作りの段階で完成までの工程や、完成作の様子がほとんど把握できるが、 そうした小さな図案を見慣れない注文者はまずさっぱりわけがわからないというの実情だ 。そのために最もよいのは、完成作と似たキモノを試着してもらって、地色や模様のつけ 具合がどう顔映りするかを確認しておくことだ。だが、作者があらゆる地色のキモノを自 分のものとして所有していることはあまりないことであろうから、注文者に好みの柄行き が掲載されている本やあるいは実物を持参してもらって、着用者がどういう好みであるの かを伝えてもらう。とはいえ、えてしてそうして主張する好みは着用者に似合わないもの が多く、作者の経験から率直にどのような地色や柄つけが似合うかを提案するのがよい。 要は最初の段階でじっくりと相談しておくことだが、振袖の場合は10代の女性が着るも のであるから、着用者はもとより、必ず随伴して来る支払い者としての母親の意向も聞き 入れて、完成作に満足してもらう必要がある。母親と娘の意向には齟齬がある場合が多く 、作者はその中間を考えて、保守的な古典模様に準拠しつつもどこか洋服感覚の色合いや 文様を染めるというのが実際的なところとなる。そうしたキモノは作者にとっては半ば自 由勝手が奪われた仕事となるから、そのすべてが楽しい作業というものではないが、自身 をのみ満足させる作業は、注文仕事が途切れた期間中に、特定の着用者を想定しない作品 づくりをすることで補う。完成したキモノを着用者に満足してもらい、それを着用して写 真館で撮影された立派な写真を送ってもらった時、作者としては作品を自由に作る場合と は別種の大きな喜びがある。
 採寸は注文者がよく着用しているキモノがある場合はそれから計測すれば済むが、そう でない場合は身幅、身丈、袖丈、褄高(襟下)、裄(肩幅と袖幅の合計)、袖丈などを決 めるために、直接着用者と会って採寸する。しかし洋服とは違ってキモノは比較的着用は 融通が利くので、ミリ単位まで厳密に計測するほどに神経質になる必要はない。まず身幅 を決めるために身長や胸回り、腰回りを計る。身丈のためには背筋線上端の首のつけ根か ら足の踝の上までの高さを体の線にゆったりと沿って計る。裄は片腕を斜め45度程度に 真横に開いてもらい、首のつけ根から肩、そして腕に沿って手首の踝上まで計る。キモノ 業界では鯨尺を使用し、竹製の2尺の物差しが普通は使用される。鯨尺の1尺は37.9 センチに相当する。2尺は75.8センチで、2、30年ほど前はこの2尺はちょうど平 均的な体格の女性の褄高と同じであった。ところがその後は女性の身長が伸び、足も長く なったので、褄高も身丈も2、3寸は長くなっている。もっとも、背の低い女性ならばそ のまま昔ながらの寸法でよい。ただし、最近は裄を長めにする傾向が強いし、そのほかの 寸法も昔どおりではないものがある。こうした標準寸法の変化は流行と考えることもでき るので、着用者の好みなどを聞いて参考にする。友禅は型染の小紋などとは違って、染め る段階ですでに生地のどの場所が着用時のどこに相当するかが厳密に決まっているから、 下絵を描く際に最後の本仕立てまでのことをよく知っておく必要がある。友禅の工程が多 いことはあたかも家を建てるようなものであり、各工程に従事する者が他の工程のことを 充分に知る方が全体としてていねいで問題の生じにくい仕事ができる。そうでなければ一 部の工程の不手際が別のところに大きな皺寄せとなる。各寸法はキモノの下着となる襦袢 を仕立てる際にも必要な、これを小下絵にもはっきりと記しておき、下絵用の用紙を作る 時にも便利なようにする。


  2,小下絵
  3,下絵
  4,下絵完成
  5,白生地の用意
  6,墨打ち、紋糊
  7,青花写し(下絵羽)
  8,糸目
  9,地入れ
  10,糊伏せ
  11,糊伏せの乾燥
  12,豆汁地入れ
  13,引染め
  14,再引染め
  15,蒸し
  16,水元
  17,彩色(胡粉)
  18,彩色(淡色)
  19,彩色(濃色)
  20,再蒸し
  21,ロ−伏せ
  22,ロ−吹雪
  23,地の彩色
  24,ロー・ゴム・オール
  25,湯のし、地直し
  26,金加工
  27,紋洗い、紋上絵
  28,上げ絵羽
  29,本仕立て、納品
最上部へ
前ページへ
次ページへ
 
『序』へ
『個展』へ
『キモノ』へ
『屏風』へ
『小品』へ
『工程』へ
『雑感』 へ
『隣区』へ
ホームページへ
マウスで触れていると自動で上にスクロールします。
マウスで触れていると自動で下にスクロールします。